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日本古来の漢方や中医学とも違う、新しい漢方ともいうべき「井上流漢方」について説明します。患者さんの気の流れをみて気を整えることを第一義とする「井上流漢方」を名古屋の井上先生の外来から報告します。
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日本東洋医学会専門医試験についての情報提供⑧
‐日本の漢方の歴史‐古法派


「古方派」とは 、『傷寒論』『金匱要略』に回帰して治療を行おうとする流派のことを言います。
実利、実効を重んじ、五行論などの観念的な理論は排斥しました。
現在の日本漢方でも最も有力です。そうそうたる大御所がここから出てきています。

いま、みんながやっている腹診やら、よく言っている「水毒」「気滞」とかはここに起源があるのです。
日本漢方を特徴づけるのはここなので、よく理解しましょう。

起こったのは、当時の「後世派」の退廃、梅毒の流行、儒学の新しい潮流などがその背景にあるようです。

さて、次のように、江戸中期~です。

・名古屋玄医 (1628~1696)
古方派の先駆け。『傷寒論』『金匱要略』に基づく復古の説の提唱 
『金匱註解』『医方問余』
 
・後藤艮山 (1659~1733)
古方派の祖・百病は一気の留滞によって生じるとする「一気留滞説」を提唱。。香川修庵、山脇東洋ら多くの門人を育てた。 
・香川修庵 (1683~1755)
伊藤仁斎より古学を、後藤艮山より医を学ぶ。「儒医一本論」を唱えた。 
『一本堂薬選』『一本堂行余医言』

・内藤希哲(1701~1735)
江戸中期、五経一貫を体系づけた俊才。
若くして亡くなる。
『医経解惑論』『傷寒雑病論類編』

 
・山脇東洋(1705~1762 )
艮山の弟子。刑死人の解剖を行い、日本最初の解剖書『蔵志』を刊行。
・吉益東洞(1702~1773)
張仲景の医方を研究し「万病一毒説」を唱える。その後、山脇東洋に認められ名声を博し古方派の雄となった。診察では腹診を重視。『類聚方』『薬徴』『方極』『古書医言』
・吉益南涯(1750~1813)
東洞の長男。東洞の「万病一毒説」を修正発展させた「気血水説」を提唱 。
『気血水薬徴』『傷寒論精義』『医範』
・中西深斎(1725~1803)
東洞の高弟。『傷寒論弁正』『傷寒名数解』を著わす。傷寒論の真価はこの註解書により国内に伝播。


・尾台榕堂(1799~1871)
東洞を敬愛した古法派。
幕末の江戸にあって浅田宗伯と名声を二分した。
『類聚方広義』『重校薬徴』『方伎雑誌』
*『類聚方広義』『重校薬徴』は東洞の『類聚方』『薬徴』を補充したもの。




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*東亜医学協会のHPの「日本先哲医家資料集」は昔の漢方名人を簡潔に説明してくれているのでお勧めです。
是非協会の『漢方の臨床』を購読してあげてください。
私の師匠の井上先生も時々投稿してます。

*画像はツムラのホームページから引用しました。

【サントのコメント】

名古屋玄医は明の喩嘉言の『傷寒尚論』を読んで当時盛行の李朱医学を捨てて医学の源流にさかのぼり張仲景の古医方にかえることを唱えたました。

後藤艮山の「一気留滞説」とは百病は一気の留滞に生ずるとするもの。だから、順気をすればよいと。灸、熊胆、温泉を勧めたので「湯熊灸庵」と呼ばれたようです。この人は頭を剃らなかったので、それ以降、医師はボウズでなくなった。時代劇で出てくる医者の格好はこの人から始まるのですね。

香川修庵は儒学に打ち込んで「儒医一本論」という説を唱えました。だから「一本堂」という著書が多い。孔子と孟子を崇拝した。

内藤希哲は独学実践で若くして傷寒論の奥義に達したらしい。35歳で夭折。天才は早く死ぬことの例のような人。もう一人が、後の水富独嘯庵。

山脇東洋:この人から日本の解剖は始まる。杉田玄白らによる「解体新書」の刊行はこれから20年後。子供の「東門」も解剖をやって山脇家は京都における解剖のシニセのようだった。

吉益東洞:現在の日本漢方の直接の源流。貧乏だったのが山脇東洋に認められて世に出たのは有名。「万病一毒説」では病気の原因となる毒を漢方で駆逐するこ とが治療となる。だから、少々キツイ。「五行論」なんか完全に否定。実践的、実利的でアッサリしていて日本人向き。すごく流行りました。
サントは鍼をやるので、五行とか五臓とか感覚的にわかるので、この説はいただけません。

中西深斎:吉益東洞の説を広めるために30年間こもって傷寒論の注解書を書きました。それが『傷寒論弁正』『傷寒名数解』。そんなすごい弟子がいる吉益東洞とはそれだけ魅力があったのでしょう。カリスマだったのでしょう。

吉益南涯、お父ちゃんの説があまりもの過激だったので、息子が修正して「気血水説」をつくった。こうなると中医学に近くなるのでいろいろ説明しやすい。現在の日本漢方の理論的枠組みはここにあります。

尾台容堂は東洞を尊敬して、注釈書『類聚方広義』を書いた。これは今でもよく読まれています。いまだに影響力が大きい本です。サントも読みましたが、本文の『類聚方』だけでは面白くない。ただ傷寒金匱の処方を並べているだけ。尾台容堂の頭注をよんでよくわかる。


下の、ツムラの「エッシェンシャル漢方医学」からの図はよくわかります。
またまた、引用させていただきました。

古法




【2013/12/06 22:11】 | 漢方専門医試験情報★New★
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